ジャズって何?
20世紀初頭、ヨーロッパの影響を色濃く受けたニューオーリンズでジャズは誕生した。西洋音楽やブルース、ラグタイム、そしてアフリカの太鼓のリズムなどが融合して出来たジャズは生粋のアメリカ音楽だ。JAZZという名前は当時このスタイルの音楽が演奏されていた売春小屋を『Jass
House』と呼んでいたからというのが由来らしい。最初はJASSと呼ばれていたのが、1920年頃にシカゴに渡った頃にニューオーリンズのそれとは区別する為にJAZZと呼ばれはじめたという。
余談になるが、サッチモ(ガマガエル)と呼ばれたジャズ界の巨匠ルイ・アームストロングは「ジャズとは何か?」と聞かれた時に次のように答えている。"Baby,
if you don't already know, you're never gonna
know the answer.(いまだにそいつを知らないんじゃ、いつまで経っても分からないよ。)"ジャズを言葉で表現しようと思うこと自体が無粋なことなのかも知れない。 |
シカゴのジャズ」って何だろう?日本から来た友達に「シカゴのジャズを聴かせるトコに連れてってよ」と頼まれて何度か困った事がある。僕だってジャズは聴くけど、どれが「シカゴ・ジャズ」かなんて言われても分らないし、おまけにそんな本格的なジャズを聞かせてくれる所って言うとちょっとヤバそうだから行ったことがない。そんな僕の肩を叩いて「来月ジャズの特集ね」だなんてウチの編集長は何を考えてんだか。。。頭を抱えていたら、そこはサスガ編集長!シカゴでジャズやブルースを中心にアテンドを行っている『Mスクエア』のMIYAKOさんを紹介してくれた。彼女はシカゴのいくつかのローカル・バンドのエージェントや、10月末に毎年行われるASIAN
AMERICAN JAZZ FESTIVAL(注1)のエグゼクティブ・コーディネーターをも兼任している人なのだ。さっそく会ってみると彼女はとっても気さくで、素人丸出しの僕らの取材に二つ返事で協力してくれることになった。
そんな彼女が「とにかく聴いてみよう」と最初に連れていってくれたのがネイビー・ピアの入り口にあるJoe's
Be Bop Cafe。ここはレストランになっているので、この店自慢のCAJUNフードに舌鼓を打ちながら音楽を楽しめる。僕らが席に着いた時にはステージで「SKINNY
WILLIAMS」というカルテットが、有名な「モナリザ」という曲を演奏していた。リーダーのスキニーはシカゴ出身のサックス奏者で、彼のバンドはバンジョーなどを使ったディクシー風ジャズが売り物だ。そのうちピアノ以外の3人が楽器を担いで陽気にレストラン内を練り歩きはじめた。その様子はさながらニューオーリンズに来たかのよう。スキニーのリードに合わせて店内に割れんばかりの手拍子が続く。観光地なので観客にも耳慣れたナンバーを選んでプレイしているが、それでも飽きさせないアレンジがしてある(らしい。−これはMIYAKOさんの受け売り(笑))。GIGを終えたスキニーに「シカゴ・ジャズについて取材しているんだ」と話すと「VELVET
LOUNGEには行ったか?」と聞かれた。偶然にもそこは次に行く事になっていた場所だった。「あそこには絶対に行ってみな。あそこを外してシカゴのジャズは語れないよ」とスキニー。プロのミュージシャンにそこまで言わせるベルベット・ラウンジとはどんな所なのだろうか?
ベルベット・ラウンジの小さな入り口はチャイナタウンの近くの寂しい通りにあった。入り口にいた初老の黒人男性にカバーを払って中に入る。今にも崩れて来そうな店内と赤く妖しい照明の中、奥のステージではトリオが黙々と演奏をしている。どこかアーティストっぽい観客達はドリンクにも手をつけずに一心に演奏に聞き入っている。ステージのチャド・テイラーはニューヨークをベースにする有名なドラマー(受け売りその2)で、彼の静かなる叫びのようなビートを聴いているとジャズのオリジンがアフリカ音楽なんだという事を再認識させられる。殆どトニックの入っていない強いジントニが体内の血管を駆け巡り、大音響の生サウンドが僕のハートを振るわせる。一杯しか飲んでないのに、体が無性に熱い。Be-Bopの時と違い、プレイヤー達は客に媚びない。「聴きたいなら、聴け」とでもいうかのように黙々と演奏が続く。彼らのプレイ中、2度ほどパトカーのサイレンがこだまし、真っ赤な店内にその時だけ青い光が差し込んだ。そして誰かの擦ったマッチの灯りが静かに輝く。その全てが妖しく官能的だった。ここはなんて熱い場所なんだろう。ふと気が付くと遠くでMIYAKOさんがカウンターで手招きしていて、彼女の隣にはさっきのもぎりの男性がニコヤカに座っていた。彼こそがこの店のオーナーであるフレッド・アンダーソン氏だった。彼はAACM(注2)の古参メンバーで、世界中のジャズ・ファンなら知らない人はいないほどの重鎮なのだそうだ。そんな人がモギリをしているなんて!MIYAKOさんによると彼が演奏するのは月に一度くらいで、それも大抵が青木達幸氏(注3)や今日のテイラーかハミット・ドレイクとだという。このお店は彼の方針で前衛的なフリージャズを思う存分弾ける場所として若い人達に解放している。だから他の場所よりも自由なジャムが聴ける貴重な場所なのだ。そういえば、Be-Bopにいたスキニーもここで演奏する時は本当に自分の吹きたい音楽を吹くという。なるほど、ここが「熱い」はずだ。そうこうしているうちに新しいセッションが始まった。僕らは次の店、Green
Millに向かう為にアンダーソン氏に別れを告げ、また熱気に包まれ始めた店を後にした。
Green
Millは1907年に開業したシカゴ最古のジャズ・バーで、あのアル・カポネ達のスピークイージー(禁酒時代のモグリ酒場)としても有名な場所である。カポネが入ってくると、バンドは何をプレイしていようがストップし、彼のお気に入りである"Rhapsody
in Blue"を演奏したと言われている。僕らが店内に入った時にはこの店の人気カルテット「FOUR
CHARMS(www.fourcharms.com)」がノリノリのスイングをプレイしていた。グリーン・ミルというのはパリの「ムーラン・ルージュ(フランス語でレッド・ミル)」をもじっているらしく、凝った内装は時代を感じさせる。演奏中の「FOUR
CHARMS」には固定のダンサー・ファンがついており、60年代の衣装を身にまとった彼らのスイングは超が付くほどお洒落。しかし、今回特筆しなくてはならないのが、このバンドのボーカル兼ベースをつとめるジミー・サットンの甘いマスク。開襟シャツがバッチリ似合うイケ面なだけでもムカツクのに、彼のベースは素人の僕でも分かるほど巧い。彼の指がビンビン弾く弦からは最ッ高にゴキゲンなビートが流れ出る。今回同行してくれた女性陣達はMIYAKOさんも含めて黄色い声。これ読んでるダンナさん達、奥さんが「ちょっと○○さんとジャズを聞いてくるわ」なんて言ったら気をつけた方がいいですよ〜。彼にぷれ〜り〜の取材をしていると言ったら日本のファンの為にとCDまでプレゼントしてくれたのだ。僕までファンになっちゃいそう。ポッ!
後編へ
(注1)ASIAN
AMERICAN JAZZ FESTIVAL:
Asian American Jazz Fest
青木達幸氏などが発起人となりアジア各国のミュージシャン達がそれぞれの思いをジャズの旋律にのせてコミュニケ−トする祭典。青木氏やボランティアの人達が文字通り手作りで始めたこのフェスティバルも今年で7年目を迎え、今では色んなスポンサーのつくビッグイベントだ。今年は10月24日から27日まで行われる。詳細は公式ウエッブサイトをチェック!(www.asianimprov.com)チケットは現代美術館(MCA)のボックスオフィスまで(312-397-4010)。
(注2)AACM:シカゴの前衛黒人ミュージシャンによる非営利団体
(注3)青木達幸
プロ・べーシスト。シカゴのジャズはこの人抜きでは語れない。昨年シカゴ・トリビューン紙の「Chicagoan
of the Year」にも選ばれた青木氏の前衛的なプレイスタイルは数多くのプロ・ミュージシャン達を魅了し、影響し続けてきた。2001年に発表された彼のライフワークとも言える"ROOTED:
Origins of Now"は和太鼓を起用したビッグバンドで、昨年シカゴで行われたジャズ・コンサートのトップ10にも選ばれている。近年はアジアン・アメリカン・ジャズ・フェストのプロデューサーをつとめるなど、精力的に活動中。
ホームページ:www.avantbass.com
Mスクエア
今回協力してくれたMIYAKOさんの経営するシカゴの日系イベント・プランニング会社。テレビ・ロケなどをはじめ、ビジネス・セミナーや視察ツアーなどあらゆるコーディネーションを手がける。その一環としてカスタムメイドのジャズ&ブルースのツアーを人数や好みに応じて提供している(一人からでもOK)。ケータリング・サービスも行っている。
ホームページ:www.m2chicago.com
電話番号:847-518-8503
メールアドレス:info@m2chicago.com
注)ジャズ・バーやレストランは入れ替わりが激しいので、訪れる前にお電話される事をお薦めします。
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