嫌な予感がした。7月25日のメンフィス戦。ロサンゼルス・エンゼルスの傘下、日本で言えば、2軍に相当する3Aのソルトレークでプレーしていたフランシスコ・アルシア捕手はラインアップカードに自分の名前がないのを見て不安になった。
「もしかしたらオレは…」。
今シーズンはここまで46試合に出場して打率・275、3本塁打、26打点。決して悪い数字ではなかったが、かと言って、好成績とは言い難い。9月で29歳になる。チーム状況次第では最悪の事態も考えなければいけない年齢に差し掛かっている。監督からなにも説明がないまま、試合が始まる。「怖かったですね」。悶々とした時間が過ぎていった。
ベネズエラで生まれ育ったアルシアは16歳の時にニューヨーク・ヤンキースからスカウトされた。メジャーリーグの舞台に立つことを夢見て足を踏み入れたプロの世界。しかし、現実は甘くはなかった。
メジャーリーグの下には3A、2A、A+、A−、そして、ルーキーリーグがある。アルシアのプロ生活は6軍に相当するルーキーリーグから始まった。順調にいけば、シーズンごとにレベルは上がり、好成績を残せば、飛び級だってある。しかし、アルシアは最下層を脱出するのに3年を要し、2Aに上がるまでさらに3年を要した。野球は投手がボールを投げないことには始まらないが、投手に投げる球種やコースを要求するのは捕手の仕事だ。相手打者の特徴だけでなく、試合展開や走者の有無、カウント別など、すべてを分析した上でサインを出す。そのためには経験が大切であり、よって捕手は他のポジションよりもモノになるまで時間を要すると言われている。
アリシアがメジャーまで階段一つとなる3Aにたどり着いたのはプロ8年目の2014年。2Aで打率・320と結果を残しての昇格だったが、3Aでは出場38試合で打率・242しか残せず。翌年は2Aで打率・248と停滞し、ついにヤンキースから契約打ち切りを告げられた。
幸い、すぐにマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結ぶことができたが、期待にこたえられずに1年で戦力外通告を受ける。繰り返すが、捕手は経験がものをいうポジションだ。マイナーとはいえ、捕手歴10年は大きなセールスポイントだ。前回同様、すぐにエンゼルスからマイナー契約のオファーがあったが、移籍2年目の今季も際立った数字を残せず、同僚捕手にメジャー昇格を先に越される悔しさも味わった。
出場機会がないまま試合は終了。家路に就くべく、駐車場に向かっていると、スマホが鳴った。「何をしてる?すぐにクラブハウスに戻ってこい」。声の主は監督だった。恐る恐る部屋に入る。
耳を疑った。
「メジャー昇格だ。明日の朝、アナハイムへ飛んでくれ」。
ここまで12年がかかった。長かった…。涙があふれた。声を上げて泣いた。
7月26日のシカゴ・ホワイトソックス戦は午後1時開始のデーゲームだった。ユタ州ソルトレークシティから朝イチの便に乗った。「少しでも眠った方いいよ」。前夜に妻にそう言われたが、気持ちが高ぶりを抑え切れず、朝を迎えた。
球場入りするとサプライズが待っていた。首脳陣から伝えられたのは「8番・捕手」でのスタメン出場。実はアルシアがメジャーに昇格できたのは、正捕手のマーティン・マルドナドがヒューストン・アストロズへトレードされたからだった。シーズンは3分の1を残し、プレーオフ進出が厳しいと見た球団は来季を見据えた戦いに舵を切ろうとしていた。
正捕手の移籍で心なしか本拠地の活気は失われたいた。試合前のスタメン発表。アルシアの名前がアナウンスされても地元ファンは無反応だった。記念すべき初打席は2回。鋭いライナー性の打球が遊撃手の正面を突いた。ここでも客席のリアクションは皆無に等しかった。
4回の打席は四球。5回は空振り三振。印象の薄い打席が続いた。しかし、これで終わらなかった。
どよめきと歓声がフィールドに渦巻いたのは、1点差に詰め寄られた7回の打席だ。1死一、三塁の好機。0ボール2ストライクからの3球目を振り抜くと打球はチームカラーの赤で染まった右翼席に吸い込まれた。メジャー初安打が3点本塁打。「泣きそうになった」。12年の苦労がここでも報われた。
まだ終わらない。8回の打席で左前適時打を放って試合を決定づけた。メジャーデビュー戦で4打点を記録したのは球団史上初めて。試合後はベンチの前でヒーローインタビューを受けた。仲間からのゲータレード・シャワーは両手を広げて2度、浴びた。「最高ですね。ずっとこの瞬間を待っていました」。第1号のホームランボールとラインアップカードを手にしたアルシアが目を潤ませてそう言った。
2日後の7月28日のシアトル・マリナーズ戦で「8番・捕手」で出場したアルシア。2回に適時二塁打を放つと3回には2号3ラン、さらに5回には2点適時二塁打で6打点を挙げる活躍を見せる。デビュー2試合で計10打点。メジャー記録を塗り替える偉業だった。
12年。うまくいかない日は数え切れないほどあっただろう。心が折れそうに、いや、心が折れた日もあったはずだ。それでも、アルシアは16歳の時に抱いた目標を忘れることなく、野球を続けてきた。
念ずれば通ず。アルシアが大切なことを思い出させてくれた。
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