白いフィッシングハットがトレードマークだった。いつも白いTシャツを着てクラブハウスの中を忙しそうに歩き回っていた姿は今も鮮明に覚えている。アメリカに東京巨人軍(現東京読売ジャイアンツ)がやってきたことや、大エース、沢村栄治投手がものすごいボールを投げていたことを話していた時の表情はどこか誇らしげだった。
メジャーリーグ、シカゴ・カブスの元クラブハウス・マネジャー、ヨシ・カワノさんが6月28日、ロサンゼルス市内の高齢者福祉施設で亡くなった。パーキンソン氏病を患っていたという。
第一報はシカゴのラジオレポーター、ブルース・レバイン記者。自身のツイッターで「彼の友人によると、カブスのレジェンド、ヨシ・カワノが97歳で死去した。これは6月4日、97回目の誕生日のヨシです」の一文とともに福祉施設と思われる場所で撮影した一枚の写真を投稿した。その後、シカゴ・トリビューン紙(電子版)は3852文字の長文記事を掲載し、ヨシさんを「THE
KINGOF WRIGLEY FIELD(リグリー・フィールドの主)」と呼んでその死を悼んだ。
同紙によると、シアトル生まれの日系二世、カワノさんは1935年に春季キャンプのバットボーイとしてカブスで働き始めたという。83年前、11歳の時だ。8年後の1943年にフルタイムでリグリー・フィールドのクラブハウスの従業員として雇用。第二次世界大戦時は強制収容所を経験し、さらにアメリカ軍の一員としてニューギニアやフィリピンの戦地に赴いた。退役後は再び、球団に戻り、用具係も担当。引退する2008年まで65年もの間、球団のために尽力。カブスでのキャリアは元球団オーナーのリグリー家よりも長く、主≠ニ呼ばれることに異論を挟む余地はない。
ヨシさんにまつわるもっとも有名な話は、1998年にリグリー家が球団と球場をトリビューン社に売却した際に前オーナーがヨシさんの生涯契約を約束させたこと。同紙によると、これはカワノ条項≠ニ呼ばれており、一時は作り話ではないかとの声もあったが、トリビューン社の幹部が実際にその条項があったと証言しているという。また、カブスが2016年に108年ぶりのワールドシリーズ制覇を果たした後、あるカブスファンがチャンピオンに縁のなかったヨシさんのためにリングのレプリカをプレゼントしたことも心温まるエピソードとして残されている。
ヨシさんの訃報を受けて、現球団オーナーのトム・リケッツ氏は声明文を発表。「70年近くもの間、ヨシ・カワノはリグリー・フィールドを我が家と呼び、選手たちと家族のように接し、球団と選手に尽くしてくれました。(中略)ヨシは無二の存在であり、われわれカブスファミリーにとっても、球団の歴史においても不可欠な存在でした」。2008年に引退した際にはトレードマークのハットが米野球殿堂博物館に寄贈されたことなどを記しながら、その功績をたたえるとともにその死を悼んだ。
シカゴ・サンタイムズ紙(電子版)によると、ヨシさんが球団に在籍した65年間で37人の監督、12人のゼネラルマネジャー、2人のオーナーが代わったという。同紙のコラムニストのリック・タレンダー記者は、ヨシさんの献身的な働きぶりをつづりながら、「IKIGAI(生きがい)」という単語を用いて読者にその意味を説明した。
地元メディアがその死を大々的に報じると、メディア関係者、元選手、カブスファンなどからツイッター上にはヨシさんの冥福を祈るつぶやきや感謝のつぶやきであふれ返った。
筆者がヨシさんに初めてあいさつしたのはかれこれ20年前になる。いつも忙しくされていたのでゆっくり話す機会は多くなかったが、ヨシさんと接した時間は大きな財産だ。今さらながらもっといろんな話をしておけばよかったと後悔している。
ヨシさん、ありがとうございました。合掌。
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