シャンパンの香りが鼻腔をくすぐる。遠くで歓喜の声が聞こえる野球場の通路で谷沢順子さんを取材したのは昨年3月22日のことだ。
ロサンゼルスのドジャースタジアムで行われた、野球最強国を決める「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の決勝戦。谷沢さんはプエルトリコを破って悲願の初優勝を遂げたアメリカ代表のアスレチックトレーナーとしてチームを支えたのだった。
「私は与えられた役目を果たすことだけ。それを自分なりに精一杯やってきたという感じですね。こんな素晴らしいチームに関わることができたことを光栄に思います」。
試合後のクラブハウスで行われた祝勝会。シャンパンで黒髪を濡らした谷沢さんの顔が自然とほころんだ。
中日ドラゴンズの主砲として活躍した谷沢健一選手を父に持つ。武庫川女子大を卒業後、テキサス州大へ留学し、アメリカ公認アスレチックトレーナーの資格を取得した。アリゾナ州フェニックスを拠点にスポーツ選手のトレーニングや治療に携わり、2004年からは陸上のアメリカ代表のトレーナーとしても五輪や世界陸上に帯同してきた。
最も大切しているのは選手とのコミュニケーションだ。いかに信頼関係を築いていくか。その姿勢は、2週間で8試合を戦う短期決戦のWBCでも同じ。「何が必要かを選手に聞いてベストの形でサポートする。一人ひとりやり方が違うのでそれに合わせてサポートすることは大変でしたけど、ルーティーンが分かってからは大丈夫でした」。
あの歓喜の日からおよそ1年が経過した今年2月1日。嬉しいニュースが飛び込んできた。
メジャーリーグ、アリゾナ・ダイヤモンドバックスがチームの新たなアスレチックトレーナーに谷沢さんを採用したと発表したのだ。過去の実績は申し分なし。WBCでの経験も大きく影響したのは間違いなかった。
近年、メジャーリーグの現場で女性の進出が目覚ましい。
ダイヤモンドバックスは谷沢さんのアスレチックトレーナー就任を発表する2年前の2016年3月には球団史上初の女性アスレチックトレーナーとしてケリー・ボイスさんと契約している。ただし、ボイスさんはルーキーリーグのチームの担当だったため、メジャーでは谷沢さんが球団初の女性トレーナーとなる。
2011年にはロサンゼルス・ドジャースが、北米4大スポーツ(野球、フットボール、バスケットボール、アイスホッケー)の歴史において初めて女性をヘッドトレーナーに指名した。一躍、時の人となったスー・ファルソーネさんは2013年シーズン限りでチームを離れたが、スポーツトレーナーを目指す女性たちにとって大きな大きな励みとなった。
中でもこのオフは女性進出の話題が続いた。谷沢さんのほかにはトロント・ブルージェイズのヘッドトレーナーにニッキ・ホフマンさんが就任した。ドジャースのファルソーネさんに続く、史上2人目の女性主任である。
職種は異なるが、オークランド・アスレチックスは昨年12月に24歳のヘイリー・アルバレスさんをスカウティング・コーディネーターに抜てきした。仕事の内容は選手の評価や調査。今や野球の経験がなくても優秀であれば、チーム編成を指揮するゼネラル・マネジャー(GM)に就任する時代である。年齢、性別にこだわっていては強いチームを作ることはできない。
そのアスレチックスは2015年にジャスティン・シーガルさんを教育リーグのコーチに起用。メジャーリーグ史上初の女性コーチとして注目された。
メジャーリーグには、ニューヨーク・ヤンキースとドジャースのGM補佐を歴任し、現在はコミッショナーの運営部門の上級副社長を務めるキム・アンさん、そして、アンさんの後任としてヤンキースのGM補佐に就任したジーン・アフターマンさんといった組織の幹部として活躍する女性が存在する。
そして、同じ組織でも、勝負の世界に生きる選手たちのサポート役としてクラブハウスやダグアウト、そして、フィールドという『現場』で働く女性たちがいる。そこには経験した者にしかわからない苦労があり、喜びがあるはずだ。
「ダグアウトにいるあの髪の長い女の子は誰ですか? ここで何をしているのでしょう?
冗談でしょ?」。
2006年4月、試合中の実況席から叫んだのはニューヨーク・メッツの解説者のキース・ヘルナンデス氏だ。対戦相手のサンディエゴ・パドレスのダグアウトでメジャーリーグ史上初となるフルタイムのマッサージ・セラピスト、ケリー・カラブレーゼさんが選手とハイタッチをするのを見て思わず、そう口走ったのだった。
同氏は不適切発言として放送中に謝罪。試合後には本人にも謝ったそうだが、女性がプロスポーツ界の裏方として認知されていない時代を象徴するエピソードだ。言い換えれば、われわれメディアが「史上初の女性…」と伝えなくなった時、女性がサポート役としてプロスポーツ界に進出を果たしたことを意味するのかもしれない。
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