見た目はとっつきにくそうな頑固じいさん。でも実際は好々爺。話してみると、その表情は一変し、こちらの質問にしっかり耳を傾け、丁寧に答えてくれる。
メジャーリーグ、ミネソタ・ツインズのテリー・ライアン・ゼネラル・マネジャー(GM)は取材をしていてとても気持ちのいい人間だ。
アメリカでは監督は「マネジャー」と呼ばれ、ベンチ登録されている25人を使って勝つための策を練る。GMは監督の上に位置し、戦力となる25人を編成するのが仕事だ。選手がフリーエージェント(FA)になって移動が活発化するシーズン・オフはもちろんのこと、シーズン中も選手の情報を収集し、チームの強化にいそしむ。
ミネアポリスを拠点とするツインズはメジャーを代表するスモールマーケット球団。年俸総額も下から数えた方が早い。その経済状態の悪さから2001年オフには球団削減の対象にもなったこともある。
近年は各球団のGMの世代交代が激しく、30代の青年GMも珍しくない時代にあって、全30球団の中で最年長となる62歳のライアン氏は最も早い1995年にGMに就任。低迷期をへて02〜04年の3年連続、さらに06年にも地区優勝を果たしている。07年から11年まで一旦はGM職を離れてサポート役に回ったこともあったが、今なお現場の最前線でチーム編成に携わっているのは同氏に対する高い評価に他ならない。
2002年には米スポーツ総合誌「スポーティング・ニューズ」が選ぶ年間最優秀GMに選出されている。そんな輝かしい実績をもつライアンGMが筆者に「私の最大の失敗だった。とても後悔している」と振り返った出来事がある。
それは、02年12月、1人のドミニカ共和国出身のパワーヒッターをクビにしたことだ。
その選手の名は、デビッド・オルティス。
『BIG PAPI(ビッグ・パピ=頼りになる父さん)』の愛称で親しまれている、ボストン・レッドソックスの、いや、メジャーリーグを代表するスラッガーだ。
『年間最優秀GM』と称賛された同じ時期に下した決断。ライアンGMの経歴の中の光と陰だ。
1992年、17歳の若さでシアトル・マリナーズとプロ契約を結んだオルティスは96年オフにツインズへトレードされた。就任2年目のライアンGMの見立ては正しく、97年シーズンは1Aからスタートしたオルティスは、2A、3Aでも打ちまくり、9月2日にはメジャー昇格を果たす。21歳の時だった。
しかし、その後は右手首のけがに苦しみ、メジャーとマイナーを行ったり、来たり。2000年には130試合に出場し、打率・282、10本塁打、63打点をマーク。ようやくレギュラーポジションを確保したと思われた01年に手首の痛みを再発させ、終盤には膝痛も抱えながらプレーした。さらに母の交通事故死で心身ともに追い詰められた。
周囲のサポートを受けて臨んだ02年は開幕こそ出遅れたが、終わってみれば自己ベストの20本塁打、75打点。ところが、打線強化を目指したライアンGMは、年俸高騰と健康状態を理由にオルティスのトレードを画策。しかし、商談に応じる球団はなかったため26歳のパワーヒッターに戦力外を通告したのだった。
レッドソックス移籍後のオルティスの活躍は目覚ましかった。移籍1年目の03年は打率・288、31本塁打、101打点の好成績でついに自分の居場所≠見つけると、04年は打率・301、41本塁打、139打点とさらに飛躍した。球宴に初めて出場するとともに球団86年ぶりのワールドチャンピオンに大きく貢献。中でもワールドシリーズ進出を懸けたニューヨーク・ヤンキースとのリーグ優勝決定シリーズの第4、5戦で放った2試合連続サヨナラ弾は後世に語り継がれる伝説だ。05年には打点王、06年には本塁打王と打点王の2冠。07、13年にもチームの主砲としてチャンピオンリングを手にした。
今年11月で41歳を迎えるオルティスは開幕前に今季限りでの引退を表明。各遠征地ではその功績を称えるセレモニーが行われている。今月12日にサンディエゴで開催されるオールスターゲームでも主役になることは間違いない。
今年、米野球殿堂入りを果たしたマイク・ピアザ氏は史上最下位となる62巡目、1390番目にドラフトされた選手として話題になった。生涯成績は1912試合、打率・308、427本塁打、1335打点。
一方のオルティスは2326試合、打率・286、521本塁打、1702打点(6月27日現在)と実績は十分だ。投票は引退から5年後。もし殿堂入りを果たせば、若くして戦力外通告を受けたことにも触れられるだろう。メディアからコメントを求められるライアン氏の心中を思うと不憫でならない。
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