最初は笑わせるために誰かが作ったネタ≠セと思った。
8月のある日、メジャーリーグ、アトランタ・ブレーブスのホーム球場、ターナーフィールドのビジター用クラブハウスにこんな張り紙を見つけた。
「PLEASE
DO NOT USE COOKING SPRAY ON YOUR SHOES」
クツにクッキング・スプレーを使用しないでください?
相手チームの選手へのお願い≠セから、『SHOES』とは『スパイク』を指しているのは間違いない。しかし、スパイクにクッキング・スプレーをかける行為の意味が分からない。
その不可解な一文の下にはこんな続きがあった。
「IT KILLS THE GRASS IMMEDIATELY - THANK
YOU FOR YOUR COOPERATION」
『GRASS』とは球場内の『芝』のこと。スプレーをかけたスパイクが球場の芝をダメにする?
念のためにブレーブスの選手たちが使っているクラブハウスの中を確認にしにいく。どこにもその類の張り紙はなかった。つまり、相手チームのだれかがクッキング・スプレーをかけたスパイクで球場の芝を悪くしたということになる。
この張り紙はネタ≠ネんかじゃない。本気の注意だった。
早速、ビジター用クラブハウスで働く人、通称クラビー≠ノ話を聞くと、こんな答えが返ってきた。
「ある選手が食堂の台所にあったフライパンの焦げ付きを防ぐためのオイルをスパイクにかけてプレーし、芝を傷めてしまって大変なことになったんだ」
試合前に台所からスプレー缶を持ち出す選手の姿を想像して思わず、笑ってしまう。
しかし、一体、だれがこんなことを…。「タンパベイ・レイズのキャッチャー、レネ・リベラだよ」。彼が踏んだ芝が悪くなっていたことが動かぬ証拠だったという。
リベラ選手は04年にメジャー・デビューし、主にバックアップ捕手としてチームを渡り歩いている31歳のベテランだ。以前に取材したことはあるが、性格はとても温厚で親切な選手という印象。ここは本人に聞くしかない。
9月のある日、レイズの本拠地トロピカーナフィールドのクラブハウスでくつろぐリベラ選手を直撃した。
「確かにスプレーを使ったよ」。罪≠あっさり認める選手。「でも、僕だけじゃない。みんなやってることだよ。だから僕も使ったんだ」。責めるつもりは毛頭なかったが、バツが悪そうな表情を見て申し訳ない気持ちになる。
しかし、理由を聞いて思わず、感心してしまった。
「スパイクに泥が付くと重くなり、動きが鈍くなる。特に雨でグラウンドがぬかるんだ日はクッキング・スプレーがすごく効果的なんだ」
試合を観ればよく分かる。キャッチャーが守るホームベース周辺はすべて土だ。しかも土に湿り気をもたせるために常に水がまかれている。1球受けるたびに立ち上がり、投手へボールを返す。内野ゴロの際には一塁への送球がそれた時のことを想定し、一塁ベースの近くまで走らなくてはいけない。とにかく、動き続けるポジションだから重いスパイクは肉体への負担が大きくなる。投手のマウンドも土でできているが、スパイクについた土を落とすためのブラシが二塁ベース側に常備されている。
油の性質を利用した、選手たちの生活の知恵=B前出のクラビーは「傷んだ芝を再生するには相当な時間がかかる」と嘆いたが、よりよいパフォーマンスを披露するためのリベラ選手の工夫にプロ意識を感じた。
芝にやさしい泥付着防止スプレーの開発、普及を願わずにはいられなかった。
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