偉大な投手だった。メジャーでの通算勝利数は歴代9位の354勝、奪三振数は同3位の4672個。年間最優秀投手賞にあたるサイ・ヤング賞を7回も受賞した投手は彼以外にはいない。僕は彼の晩年しか知らないが、その力強いピッチングもさることながら、マウンド上での立ち居振る舞いはエースのそれだった。
ただ、どうしてもリスペクトする気持ちになれない。禁止薬物使用の疑惑以来、その行動があまりにも白々しすぎるのだ。一世を風靡したタレントが必死で話題づくりにいそしんでいるようで、見ていて痛々しいのだ。
ロジャー・クレメンスが現役復帰を宣言した。2度目、いや、3度目、もしかしたら4度目かもしれない。とにかく、クレメンスがまたマウンドに上がる決意したのだ。8月で50歳になった。春先にジェイミー・モイヤー投手がコロラド・ロッキーズの先発として登板し、メジャー史上最年長となる49歳151日で勝利を挙げている。しかし、その後、モイヤーは戦力外通告を受け、今はどの球団にも所属していない。
次はオレが・・・。
そんな下心が見えてしまう。9月になれば、メジャー登録枠が25人から40人枠に拡張される。プレーオフ争いから脱落したチームは消化試合に突入し、客集めに必死になる時期でもある。
『クレメンス、史上最年長勝利を目指してメジャー復帰!』
あると思います。ちょっと古いギャグですが、本当にそうなれば、メディアは球場に殺到するはず。あると思います!
その第一歩とすべく、クレメンスはマウンドに上がった。
復帰宣言から5日後の8月25日、青春時代を過ごしたテキサス州。独立リーグ球団、シュガーランド・スキーターズの先発投手として登板した。監督のゲーリー・ガイエティはかつてシカゴ・カブスでもプレーし、旧知の間柄。契約に支障はなかった。
クレメンスはブリッジポート・ブルーフィッシュ戦で3回1/3を無失点。内容は37球を投げて1安打2奪三振だった。相手打線には元メジャーリーガーのジョーイ・ガスライト外野手がいたという。
クレメンスが最後に引退を発表したのは5年前の2007年。野球界を震撼させたミッチェル・レポートで禁止薬物を使用したとされる約100人の中にその名前が記載されていたことが発端だった。ただ、次々と選手たち、元選手たちが使用を認める中、クレメンスは否定し続けた。法廷に立った際も聖書に手を置いて無罪を主張した。そのため、一時は偽証罪の罪にも問われたが、今年6月に無罪が確定。涙ながらに勝訴の喜びを口にしてはいるが、勘違いしてはいけないのは、なにも薬物使用の疑いが晴れたわけではなく、今回は法廷での発言がうそではなかったことが証明されたというだけの話。使用に関しては依然として限りなく黒に近い灰色のままである。
おそらく、その勝訴のあとだろう、クレメンスが現役復帰を真剣に考え始めたのは。最年長勝利もさることながら、クレメンスの本当の狙いは野球殿堂入り(Hall
of Fame)にあると言っても過言ではない。
全米野球記者協会に属する記者が投票権をもつ野球殿堂入りの資格が生まれるのは引退後、5年が経過してから。つまり、クレメンスは今年からその資格を有する。投票は毎年、野球シーズン終了後の秋に行われる。
私の野球を愛する気持ちはいくつになっても変わらない―。
もし、仮に、万が一、百歩譲って、その思いが本当だったとしよう。ならば、なぜ、野球を冒涜(とく)した薬物使用の疑惑がかけられるのだろうか。もし、仮に、万が一、二百歩譲って尻に打った注射がビタミン剤だったとしても、なぜ周囲の人間を勘違いさせるような軽率な行動を取ったのだろうか。
50歳を越えてメジャーの舞台に立ったのは過去に2人しかいない。その年になっても相手を抑えてやろうという闘争心、勝ちたいという気力は素晴らしいことだ。
ただ、その行動の背景にあるものがあまりにも複雑すぎる。
名誉回復、イメージアップ、エゴ、・・・。
偉大な投手、クレメンスの新たな挑戦を応援する気にはどうしてもなれない。
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