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注目している野球選手がいる。
昨季、来日1年目でいきなり年間214安打を放ち、日本プロ野球記録を樹立した阪神タイガースのマット・マートン外野手だ。1992年にオリックス・ブルーウェーブのイチロー外野手(現シアトル・マリナーズ)が作った記録を塗り替え、日本列島を驚かせた。そのニュースはアメリカでも大きく報じられている。
日本に来る前年の09年はメジャーリーグ、コロラド・ロッキーズでプレーした。しかし、出場したのはわずか29試合。シーズンのほとんどをマイナーリーグで過ごした。
『助っ人』として来日する外国人選手には、その力にかげりが見え始めた30代半ばに最後の野球人生を送る場所として日本を選ぶ傾向がある。しかし、マートンの場合は違う。当時29歳。最大の理由は、出場機会だ。「自分がどれだけやれるのかを見極めたかった」。2年で3億円を越えるオファーも魅力だったが、それ以上にメジャー(1軍)の試合に出ることの方が重要だった。国は関係なかった。
ただし、失敗は許されない。アメリカで実績のない選手が、海外でも結果を残せなければ、その評価はさらに下がる。アメリカに戻ってきても働き場所を見つけるのは困難を極める。“ダメもと”の精神では痛い目に遭うのがオチ。覚悟と自信がなければ日本行きは決意できない。
加えて、阪神は毎年のように外国人選手がコケている球団だ。実際にマートンがオープン戦で12打席連続無安打(!)となった時には日本のスポーツ紙は大騒ぎした。またか!と。調整段階でも結果を求められる現状。阪神の“助っ人史”は枯れ果てていた。
「過去の選手たちの成績が芳しくなかったことは知っていた。その悪い流れを僕が止めなければいけない。自分のために、というよりも、チームのために結果を残さなくていけないという重圧はありました」。
シーズン後、マートンはそう話している。
もともとはエリートだった。野球の名門、ジョージア工科大を出て、03年ドラフトでレッドソックスから1巡目、全体の32番目で指名された。その翌年に4チームが絡んだ超大型トレードでシカゴ・カブスへ移籍したが、05年7月に早くもメジャーデビューを果たす。06年に先発メンバーで144試合に出場した。打率・297、13本塁打、62打点。実質メジャー1年目にしてはなかなかの数字。将来が楽しみな若手選手。そう、マートンはカブスでヒーローになる可能性があったのだ。
ところが、球団は突然の方針転換。勝つためには必要なのは、未来ある若い選手よりも過去に実績を残した選手と考えたのだ。アルフォンゾ・ソリアーノ選手と8年1億3600万ドルという超破格の契約の結び、マートンを控え選手に追いやったのだ。これまで数え切れない数のチームが犯してきた過ちをカブスもやってしまったというわけだ。
そこからマートンの流浪生活が始まる。08年のシーズン途中にはカブスからオークランド・アスレチックスへトレードされ、その年のオフにはアスレチックスからロッキーズへ放出された。自分の居場所をずっと見つけられずにいた。出場機会を渇望するのも無理はなかった。
敬虔なクリスチャン。メールの最後は必ず、「Take care and God Bless」で締める。そんなマートンと話していて感じるのは、謙虚な姿勢だ。自分はまだまだやれる、そのためには今、何が必要なのか。コーチのアドバイスや選手の話に耳を傾ける。少しでも奢りが存在すれば、そうはできない。青い眼と赤い髪をもつ白人選手。外見からは想像がつかない日本的な心をもっている。けがをしない丈夫な肉体と、どんなボールも的確にヒットゾーンにはじき返す技術はもちろん、そこに健全な精神が備わらなければ、歴史に残るような記録は生まれない。
今季の成績次第では、オフに日米を巻き込んだマートンの争奪戦が繰り広げられる。マートン自身は日本への感謝を口にしながらも、「再び、メジャーでプレーするのは僕の夢」と言い切っている。マートンの1年を追っていきたい。
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