あまりにも悲しいインタビューだった。自分は正直に包み隠さず話しているんだ、と言わんばかりのその表情が不憫でならなかった。
メジャーリーグを代表する強打者、ニューヨーク・ヤンキースのアレックス・ロドリゲスが、ESPNのインタビューに応じ、過去に禁止薬物を使用していたことを“激白”した。
薬物の摂取を繰り返していたのは2001年から03年の間。若気の至りであったことを強調しながら自身が取った行動への後悔とファンや球団関係者への謝罪の言葉を繰り返した。プレッシャーに勝てなかったのだという。2000年のオフにシアトル・マリナーズからフリーエージェントとなったアレックスはテキサス・レンジャーズと10年2億5200万ドルというメジャーリーグ史上最大、空前絶後の条件で合意に達し、世間を驚かせた。なにも無理やり押し付けられた契約ではない。自らが望んで契約書にサインをした。この時点で給料に見合う結果を出さなければいけないと覚悟していたはずだった。
エリートの道を真っ直ぐに歩いてきた。1993年のドラフトで高卒ながらマリナーズから全体1位で指名を受けた。プロ1年目の94年6月に18歳11ヵ月の若さでメジャーデビューし、レギュラーに定着した96年にはいきなり打率・358、35本塁打、123打点を残し、首位打者も獲得した。98年からは3年連続で40本塁打&110打点をマークし、スラッガーとしての地位を築き上げた。
文句のつけようがない経歴。01年にはすでに揺るぎない自信が備わっていたはずだ。にもかかわらず、悪に手を染めることになるのだが、当時の年齢は25歳。メジャー在籍8年目となれば立派な中堅だ。「自分は若かった」では済まされない。
残念な気持ちにさせるのは、今回の“激白”が自らの意志によるものではなかったことだ。スポーツ総合誌「スポーツイラストレイテッド」(電子版)によるスクープが世間が大騒ぎとなり、話さざるを得ない状況に追い込まれたのだ。
報じられた内容は、2003年のシーズン中に実施された検査で陽性反応があった104人の中にアレックスが入っていたというもの。当時は今と違って陽性反応が出ても処罰はなく、結果を公表しないという取り決めになっていた。ところが、6年の歳月をへて公の場となってしまった。アレックスの名前もさることながら、メジャー30球団、計750人のうち、7分の1の割合、単純計算で1球団当たり3人がクスリを使ってプレーしていたことに驚かされる。ファンはそんな選手たちに歓声と拍手を送っていたことになる。
禁止薬物の使用に関して、マーク・マグワイアが無言を貫き、バリー・ボンズが無罪を主張している。彼らに比べれば、一見、男らしい印象を受ける。
しかし、実のところ、そうではない。
07年12月にメジャーリーグ界を震撼させたミッチェル・リポート。禁止薬物の使用に関するその報告書には約90人の新旧メジャーリーガーの名前が記されていたわけだが、それに難くせをつけた男がいる。
元メジャーリーガーのホゼ・カンセコだった。
発表された日の夜にテレビ番組に緊急出演し「レポートは完全なものではない。彼(アレックス)の名前がないのは信じられない」と訴えたのだ。そののちに出版した暴露本第2弾「VINDICATED」でもアレックスについて言及している。
アレックスも黙っていはなかった。カンセコのテレビ出演の翌日にCBSの看板番組「60MINUTES」に登場して禁止薬物の使用を完全否定。クリーンな体であることを主張した。
それからわずか1年余りで、ごめんなさい、とは。アレックスは薬物使用をやめてから4年が経過していた、と必死で弁解していたが、それも苦しい言い訳。胡散臭さをプンプン漂わせているカンセコには勝てる計算があったのだろうが、今回は万事休す。皮肉なことにウソが際立つ結果となった。
窮地に陥った人間を叩くのは簡単なことだし、好きではない。
しかし、今回のアレックスに関する一連のトラブルには擁護の言葉が出てこない。
そう言えば、2007年5月号でアレックスについて書いたことがある。アレックスが将来のメジャーリーグをクリーンなイメージに変えていく、というような内容だ。今のペースで本塁打を打ち続ければアレックスがメジャー記録を更新するのは6年後だ。禁止薬物に手を染めた3年間で打った156本のホームランはどう扱われるのか、そして、引退後の殿堂入りはどうなるのだろうか。
男を下げてしまったアレックス。
ただ、ただ残念でならない。
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