P、O、R、T、E、R
ユニホームの背中にそう書いてあった。
ポーター?
あの選手も確か、ポーターっていう名前だったなぁ・・・。
突然、遠い記憶がよみがえった。
ファーストネームはボー(BO)だ。初めて会ったのは99年春。場所はアイオワ州デモイン。シカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ野茂英雄投手が、メジャー昇格を目指して3Aの試合に登板した時に話を聞く機会があった。
黒人特有の尻が上を向いたバランスの取れた肉体。その筋肉の付き方から身体能力の高さがうかがえた。聞けば、名門・アイオワ大学の出身。野球だけでなく、アメリカン・フットボールでもレギュラー選手だったという。5万人以上を呑み込んだスタジアムでプレーしたこともあったとも話していた。
もしかして、あのポーター?
いやいや、そんなはずはない。なぜなら、僕の目の前にいるポーターは、試合前のフィールドで選手たちにノックをしているフロリダ・マーリンズのコーチだったからだ。
とはいえ、否定するのはまだ早い。とにかく顔を見てみよう、と背中しか見えない場所から動いてみる。その横顔は、まさしく、あのボー・ポーターだった。近づいて行くと、相手はやや怪訝な顔をした。
覚えてますか?と問う。
「あー、あー」と思い出そうとしている様子。
99年ににアイオワ・カブスで・・・。相手の顔がパッと輝いた。
お互い満面の笑みで握手を交わした。
「今はマーリンズで、三塁ベースコーチと外野守備コーチをしてるんだ。今季で2年目になる」。
ポーターが近況を報告してくれた。
大リーグではコーチと言えば、そのほとんどが40代か50代。ポーターはどう見ても30代だ。
「もうすぐ35歳になる」ってことは、現役引退はいつだったの?
「2003年。30歳の時だった」あとで調べて分かったことだが、ポーターは99年にカブスでメジャー・デビューするも、そのオフにオークランド・アスレチックスへトレードされた。00年は17試合に出場し、メジャー初本塁打も放った。シーズンが終わると再び、トレードでテキサス・レンジャーへ。01年に48試合でプレーしたが、最後の2年間はマイナー暮らしだったという。
引退する時にはすでに結婚していた。「引退後の1年間は定職には就かず、近所のコミュニティカレッジで野球を教えていた」という。当時の生活ぶりを心配したが「今後の人生設計をする上でいい時間になった。大学で学位を取っているから将来の心配はしていなかった」。
32歳でマーリンズ傘下1Aの打撃コーチ、その翌年は夏季リーグの監督も務めた。昨季、メジャーのコーチに昇格した。選手としては、マイナーで1000試合以上もプレーする苦労人だったが、コーチとしては順調にキャリアを積み上げている。
「コーチは経験がモノをいう。日々、勉強だよ」
マーリンズにはルイス・ゴンザレスという今年40歳になる大ベテランがいる。日本ほどではないにしても、アメリカでも年齢は人間関係に微妙に影響するはずだが「お互いに選手とコーチとして敬意をもって接しているから全く問題ない」。どうやら選手たちとの関係も良好のようだ。
将来の夢は、もちろん、メジャー球団の監督だ。
セントルイス・カージナルスの名将、トニー・ラルーサ監督は28歳の若さで現役を引退した。ポーターよりも早い時期に選手としての能力に見切りをつけ、指導者の道に進んだ。
ボー・ポーターはこれからどんな道を歩むのか。見守っていきたい。
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