ミズーリ州カンザスシティにニグロ・リーグ野球博物館(Negro
League Baseball Museum)がある。人種差別によって誕生した同リーグは、黒人選手主体のチームで構成され、1920年から60年まで米国の東半分の各都市を拠点に運営された。その歴史をひも解くと、シカゴと深いつながりがあることに気付かされる。
カンザスシティの観光名所にもなっている同博物館は91年にオープン。淡い茶色と深い緑の外観は、やや荒廃した町中にあってよく目立つ。館内に流れる軽快なジャズは、隣接するアメリカン・ジャズ博物館(The
American Jazz Museum)からのもの。どちらの博物館(月曜休館)も入場料は6ドルだが、8ドル出せば両方の見学が可能。野球&ジャズファンにはたまらない空間なのだ。
ニグロ博物館に入ってまず目に飛び込んでくるのが、年表と米国地図だ。40年の間に誕生したチームは83(!)。北はデトロイトから南はヒューストン、東はニュージャージーから西はカンザスシティまで、全33都市にも及ぶ。発足時はわずか7チームだったが、その年表から同リーグがどれほど人気を博し、人々の生活に浸透していたかが分かるはずだ。ちなみに、カンザスシティは、リーグ設立を決定する会議が開かれた場所。また、24年に実施された第1回ニグロ・ワールドシリーズを制するなど、リーグ最強とうたわれたモナークスの拠点でもあった。
先にシカゴと深いつながりがあると書いたのは、実はリーグ設立者が、草創期7球団の1つ、シカゴ・アメリカンジャイアンツのオーナーでもあったアンドリュー・
”ルーブ“・フォスター氏だからだ。現役時代はシカゴの独立チームの大人気投手、引退後は監督や球団オーナーを歴任した。『黒人野球の父』と呼ばれており、館内に銅像が建てられるほど、その功績は計り知れない。
そして、もう一人、シカゴに縁のある人物がいる。ジョン・ ”バック“・オニール氏だ。同博物館館長を務める同氏は、モナークスの一塁手として首位打者を獲得するなど、2度のリーグ制覇に貢献。大リーグでプレーできなかったが、62年にシカゴ・カブスの打撃コーチに就任。メジャーリーグ史上初の黒人コーチとなり、アーニー・バンクス、ビリー・ウィリアムズ、ルー・ブロックといった、後に大リーグ殿堂入りした黒人選手を指導した。
モナークスでプレーしていたジャッキー・ロビンソンがブルックリン・ドジャースと契約し、人種差別の壁を打ち破ったのは47年4月。その3カ月後にはラリー・ドビーがクリーブランド・インディアンスに入団し、ア・リーグ初の黒人選手になった。51年5月にはミニー・ミノソがシカゴ初のニグロ・リーグ出身選手としてホワイトソックスと契約(ミノソはキューバ出身。ニグロ・リーグでは27年から南米選手もプレー)。その2年後にカブスがバンクスと契約している。この他、通算755本塁打の大リーグ最多記録をもつハンク・アーロン、通算660本塁打を記録し、バリー・ボンズの名付け親でもあるウィリー・メイズ、42歳でメジャー契約したサッチェル・ペイジも同リーグ出身の殿堂入り選手だ。
メジャーでプレーする機会に恵まれなかったが、その実力はベーブ・ルース以上というジョッシュ・ギブソン、快足で鳴らしたジェームズ・
”クールパパ“・ベルら、個性豊かな面々。同博物館を訪れたことのあるカンザスシティ・ロイヤルズのデジ・レラフォード内野手は言った。「ニグロ・リーグには、ボクが聞いたことのない、すばらしい選手がたくさんいることを知って驚いたよ。まるでタイムスリップしたようだった。ぜひまた、行ってみたい」。
ニグロ・リーグとシカゴ。そこには切っても切り離せない縁がある。